富士ヒルブロンズ100日チャレンジ #17 最終回

富士ヒルブロンズチャレンジ

データで見る100日チャレンジエピローグ

というわけでブロンズ獲れたぞわーーーーーーーーい

最高のかたちで終えることが出来た富士ヒルブロンズ100日チャレンジ。

独りでは絶対達成できませんでした。

使っていないローラーを快く貸してくれた方が居たからZwift環境ができて、

メニューの相談に乗り、的確なアドバイスをくれてかつ対等に接してくれる方がいたからベースアップに成功し、

ミートアップに参加させていただいたグループの皆さんの暖かさのおかげで全開で追い込めて

試走に付き合ってくれた幼なじみのおかげで2回も行くことが出来たし

同じブロンズを目指す方に刺激をもらい

いいねやコメント頂いたりこのブログ見てくれた方々のおかげで3か月折れずに継続できました。

本当にありがとうございました!!

 

 

緑のラインが自転車活動。よく乗ったなあ

グラフは週ごとのTSS(Zwiftのみ)。

こう見ると、じわじわステップアップしていったのがよく分かる。メニュー組んだ人は天才ですね

week10はGWでほぼ乗らなかった……

Zwift

●Zwiftトレーニング回数:54回

●総獲得標高:26,630m(ERGモードなので負荷は現実と大きく異なる)

こんなにドロップ溜まりました。

Zwiftトレーニングなしにはブロンズは取れませんでした。

なお、最も効果あったと感じるのは4回登ったAlpes du ZwiftTT。

斜度変化の中でも一定パワーを保つ練習になり、緩斜面の多いスバルラインでしっかり加速できるようになりました。

ベース練は一番やったのはCarson(無印)。

実走

●ヤビツTT回数:4回

●スバルライン試走回数:2回

その他鹿野山ヒルクライム、美ヶ原ヒルクライムなど。

筋トレ

にっしーさんのこの体幹トレーニングを5月から週3でやったらずいぶん登っているときの意識が変わりました。もっと早くやればよかった。

楽に速く乗るための体幹トレーニング!基礎編
体重

目標:富士ヒル当日までに3/1の体重から-3.0kg

結果:富士ヒル当日までに3/1の体重から2.0kg

達成ならずですが、身体はだいぶ締まったぞ。

体重は目標達成まで継続ということで……

 

というわけで。以上となります。

ここまで御覧頂きありがとうございました!!!

 

 

  

  

 

 

 

自分語りで見る100日チャレンジエピローグ

※長いぞ!!

 

 

 

もう二度と競技で頑張らないと決めていた。

 

わたしは運動神経がないと断言する。というのもスポーツ経験が無い訳ではない。中学校時代はバドミントン部に入り、毎日の朝練も午後練も休日練も休まなかった。負けてばかりだけど練習試合も全力でやった。中学女子特有の嫌がらせも耐えた。

唯一人並みだったのが持久力くらいで、長距離走だけは上位のほうにいた。

市内大会で3回勝ったら県央ブロック大会に出場できる。1回戦だけなら勝てるようになった。

勝ち抜いて県央ブロックに出場できたらいいな。小さな夢を追った。

練習で膝を壊した。お皿が外にずれ、神経に干渉して痛む。いまも引きずっている。

中3最後の夏の市内大会、両親も応援に来てくれた。

1回戦。小学生の頃からクラブチームに入っていたという、中1の初めて大会出場の子にストレート負けした。

3年間の努力はなんだったんだろう。

両親の前で、後輩の前で、同級生の前で、みっともないくらい泣いた。両親は何も言わずに帰った。いや、何も言えなかったんだと思う。

わたしには運動神経ないんだ。わたしはスポーツ向いてないんだ。

 

もう二度と競技で頑張らないと決めた。

 

高校に入って、部活は運動とは無縁のものを選んだ。

姿勢がずいぶん悪かったらしく、気がついたら腰の反りがひどく、一日立ち歩いているだけで腰が痛むようになった。

大学に入って、「頑張らない運動がしたい」からサイクリングを始めた。一番安い価格帯のクロスバイクを買った。

サイクリングは楽しい。皆で走り回って、美味しいご飯を食べたり、景色を眺めて、ここまで自力で来たんだと満足感に浸る。

でももっと楽しく速く走れるようになりたかったから、ロードバイクを買った。競技として楽しむつもりは毛頭なかった。

ロードバイクはクロスバイクとまるで別物だった。風を切る様に速く走れる気になった。どこまでも走れる気がした。

でも登り坂だけは別物だった。

きつい斜度でペダルを踏みこむと壊したままの膝がずきずきと痛んだ。長時間登り続けると、今度は反ったままの腰がずきずきと痛んだ。涙が出るほど痛かった。

登り坂は痛い、つらいものだ。ヒルクライムが大嫌いになった。そのせいで6年もロードバイクに乗っている割には全然山エリアを知らない。

でも日本は坂ばかりで山だらけで、どこに行っても登りがある。レースじゃないツーリングでもブルべでも辛さから逃げられない。

楽に登れるようになりたい。

もともと持久力だけは人並みだったので、登る速度自体は絶望的じゃなくて、ヤビツ峠TTなんかも3年前、痛みに悶絶しながらもギリギリ50分切りできていた。

そのころからなんとなく富士ヒルには憧れて、なんとなくブロンズかっこいいな……と思った。

軽量なヒルクライム用バイクをお迎えして自分に退路を無くすことにした。その後紆余曲折あって2019年秋にお迎えしたのがいまの愛車。車体も軽く、パーツ一つ一つ自分用にセットした愛車に1年乗って、痛みを完全に克服できたわけじゃないけどずいぶんと登りやすくなった。

わたしもしかしたら登れるようになったかもって思った。富士ヒル開催の告知を見て、参加を決意したくらいには。

そしてせっかく参加するのならば、いつか憧れたブロンズを目標にして、本気で頑張ろうと思った。

再び挫折することに怯え、もう二度と競技で頑張らないと自分に言い聞かせていたのを止めて

もう一度競技として本気で頑張ることを決めた。

既に2月になっていて、あと3か月しかないけど出来ることをやろうと決意して、逃げないようにTwitterの専用アカウントまで作った。

 

もっともっと速いひとはごまんといるけれど、ブロンズまでは誰でも獲れるというけれど、

わたしは今回やりきったこと、憧れのブロンズタイムに手が届いたことが猛烈にうれしい。

順位なんて入賞にまったく引っかかってないけど、出来ない理由を探し続けていた自分自身との戦いに勝利できたことがうれしい。

もう一度頑張って本当によかった。ひとつ、確かな自信になった。

今ならわかるけど、中学時代の部活も打ち込んだのは得意のスタミナを活かすトレーニングばかりで、苦手なテクニックを磨く練習が疎かだった。あの大会、テクニカルに攻めてくる彼女に手も足も出なかった。思い返せば努力のやり方が間違っていただけなのかもしれない。

可能性をなくしてしまうのは、自分自身の思い込みなのかもしれない。

 

 

さて、今度は何に向かって頑張ろう。

トレーニングを始めた当初は、富士ヒルが終わったらヒルクライムどころか自転車と少し離れようと思っていた。

ところが今はブロンズ獲れたことで、自分はもっとヒルクライムやれるんじゃないか強くなれるんじゃないかって欲も湧いてきてしまって。

でもそうしたらまた近いうちに挫折の時が来るだろうとも思う。

耐えられるかな、

当初楽しんでいたツーリングもまたやりたいし、自転車以外のものに視野を広げたいという思いもある。好きなランニングやスイミングを再開したいし、小学生の頃からあこがれていた習い事を始めてみるのもいい。料理が上手になりたいし、机に向かう勉強の類は大の苦手だが、今ならできるかもしれない。

富士ヒルから1週間たった今も、決めきれないまま

どこかぼんやりして過ごしている。

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